« August 2012 | Main | October 2012 »

2012.09.28

時間は音もなく過ぎる

昨日は最後まで残ってくれていた秀子おばちゃんが
東京の自宅へ帰る日だったので
姉の車に乗って一緒に千歳空港まで送りに行った。


少し時間があるから軽食でも?と
函館ラーメンのお店であっさりしたラーメンをすすりながら
私と秀子おばちゃんは2人でビールも少々。


帰りは同乗していた愛犬イチローと後ろの席で転寝。


目が覚めると少々頭痛がしたので
ビールを飲んだペースが速くて二日酔いならぬ「その日酔い」かな、と思っていた。


夕方まで実家で姉と過ごしてから
一旦仕事をしに自宅へ。


するとどんどんダルさが増して発熱の気配。
少し仮眠をとった。


寝る前にもう一度線香をあげたくて夜9時前に実家に行くも
まだ熱と頭痛でフラっとするので姉から風邪薬をもらって飲んだ。
毛布に包まって少し横になっていたら


なんと劇的に薬が効いて
頭痛も熱の気配もすっかり引いて普通に体が動くようになった。

さすが、おれ。ww

ってか、私はひそかに
姉が体調を崩すことを心配していた。

旅行に行って帰ってきたあとなどは
体力を消耗して必ずと言っていいほど体調を崩す姉なので
今回も葬儀のあとでひっくりけえるんじゃないか、と思っていたのだけど
予想外で自分だった、っつーね。ww


てか、自分でよかった。


私は回復力もトカゲ並だし
普段から怪しいサプリメントとかもきっちり飲んでいるし。
        ↑
 いや、別に怪しくないけど


何より、
母が富山の薬売りから買っていた風邪薬がめっさ効いた。
あなどれん。

ってことで
少しずつ少しずつ
心も生活も元通りに修復中です。

姉の仕事中はうちに預かることになった母の愛犬イチローも
庭に出すと激しくひかると遊んでおり
おかあさん、見ておくれ。こうやって楽しそうに遊ぶんだぜよ。

お空に向かって報告しています。

2012.09.27

みなさん、ありがとう。

連日、晴れていたと思ったら
稲妻が光ったり雷がなったり大雨が降ったり
不安定なお天気が続く毎日です。


母が入院してから数日は9月なのにまだ暑いね、
と言いながら過ごした夏の終わりでした。
母の葬儀を終えた今は風も冷たくなって秋の始まりです。

9月6日、姉が帰宅したときに倒れていた母は
朝、姉が出勤するときには
日課である愛犬イチローの散歩に出ていたそうで、
道の向こうから帰ってきた母とイチローの姿を見ながら
姉は車を出して会社に向かったそうです。


数日前、姉が近くの生協に買い物に行ったとき
その時の母の姿を見た、と言う近所のおばさんと話したことを
私に教えてくれました。
おばさんは、
お母さんずいぶん調子が悪そうだったわよ。もうだめだ~、って言っていたと。

母の渾身の、最後の散歩。


いつも母は
散歩に行ってやらないとイチローが可哀想だ、と言う言い方をする人でした。


相手が可哀想だから、自分が辛くてもやる。


それが母と言う人の生き方の癖だったのかもしれません。


命がけでやってんだよ、などと簡単に口にする人がいますが
本当の命がけって、母みたいな人を言うのかも・・・。


ほんとに命かけてる人は、ごちゃごちゃ言わないで
淡々とやり遂げるものなんだ、っつーかね。。。。。


葬儀に際し、会葬くださったお客様やお友達のみなさま
弔電を下さった方、過分なるご香料を頂いたみなさま
ブログを通して心配、応援くださった皆様
誠に誠にありがとうございました。


葬儀当日も、なぜここにあなたが!?などと
数々の驚きと感激で、
葬儀にもかかわらず嬉し涙が出ると言う体験もいたしました。(笑)
まったくもって「感情のデパート」の数日間を過ごしました。
帳面に名前があったのに会ってご挨拶ができなかった方がいました。
大変悔やまれます。
落ち着いたらお声をかけさせていただきますが
まずはこの場でお礼を言わせてください。

そう、これを読んでいるそこのあなたです!!(笑)
ほんとにほんとにありがとう。


母の姪や甥に当たる私の従兄妹、その子供たちが
あんまり人がいないと寂しかろう、と
学校を休んで通夜から泊り込んでくれたり
特に秀子おばちゃん、千代美おばちゃんは
通夜の前から実家に駆けつけて
あれこれ力を貸してくれていました。

これらさまざまな皆様のお心使いに
母のいない悲しさを越える程の感謝の気持ちでいっぱいです。


これから少しずつゆっくり
母から学んだことを振り返っていきたいと思います。


母への供養として、また最高の親孝行として
私や姉が最後まで幸せな人生を歩むことが
私たちに与えられた役目だと思ってやっていこうと思います。


どうか、これからも暖かく見守っていただけますよう
よろしくお願いいたします。

2012.09.24

お知らせ

母 三上愛美 儀

ここに生前のご厚誼に深謝し謹んでお知らせ申し上げます。

通夜および葬儀は次の通りです

一、通夜 9月24日午後6時30分から
一、告別式 9月25日午前9時から
一、場所 ベルコ セレモニーホール 札幌南シティホール
       札幌市南区川沿6条2丁目2-11


喪主 三上直子
施主 有限会社ペットナーサリー
    取締役社長 高先郁


つーことで
実家近くの小さい葬儀場でひっそりとやります。

2012.09.23

秋晴れ

朝、ごまふの吐き戻しの気配で5時半頃かな、
目がさめた。


6時半

姉から電話。

「病院からすぐ来て、って。」


すごく綺麗な朝日を見ながら車を飛ばして
裏の通用口のチャイムを鳴らすと
いつもはそっけない管理室のおじさんが
面会者カードを持って廊下に立っていた。
すぐ行きなさい、と
書かなくてはいけない面会者の用紙を免除してくれて
ありがたくて涙が出た。


姉がすでに病室にいて


バイタルの殆どゼロになった母の姿。


それでも少しだけどこかが動いていて
母の体はまだ温かかった。


平成24年9月23日午前6時
高先郁の母 三上愛美 満73歳にて永眠いたしました。


いま、母は16日ぶりに家に帰ってきて眠っています。


夕方、ふと窓の外を見ると
母の寝ている和室からは
とても綺麗な夕焼けが見えました。

私は仕事もしながら実家にも行きながら
あわただしく動いています。


ただ、
25日の火葬が済むまでは電話の受付はお休みさせていただきます。

預かり中のワンちゃんたちは
スタッフが渾身の愛情でお世話していますので
ご安心ください。
あ、私も戻るたびに愛情こめて触れ合っています。(笑)


葬儀の詳細については
後ほど告知させていただきます。


ご声援いただいた皆様のおかげで
大切な時間を過ごすことができました。


深く感謝いたします。

2012.09.22

15日目

週末になり、姉が長い時間母といてくれる。

私は仕事をこなしながら病院に何度か立ち寄る。


今日は眠くて眠くて
母の横に座ってもすぐにうつらうつらと転寝してしまった。


母の手に触っているとなんだか安心する。
浮腫んで凄くぶよぶよになっている手だけど
なんか子供の頃に戻ったみたいな気持ちになれる。

2012.09.21

14日目

昨日のヒーリングの話を
病院に来た姉に色々話した。

まだ昨日のことなので私の記憶もけっこう残っていた。


母の呼吸と血圧は落ち着いている。


母の病室で姉とあれこれ話す。


これが実家の光景だとしたなら
母が昼寝中の他愛ない時間かもしれない。


今は残り少ない貴重な輝かしい時間。


私がいないときに別な病室で亡くなった方の話を姉から聞いた。
母の入院している2階の病棟には常時
入院してる方がICUを入れても15名足らずしかいないけど
母が入院してから3名が旅立ったもよう。

そんな中、母は2週間がんばってくれている。
完全ではないけれど覚悟が備わってからは
むしろ生きていてくれる母を尊厳する気持ちと
母に聞いていてもらいたい気持ちで
取り留めのない会話を姉と続けている。

悲しさや不安にさいなまれているときは口数も少なかったけれど
母ががんばってくれているおかげでこんな風に
私たちが心を立て直すことができてきた。
母は潜在意識の中で聞いてくれているのだろうか。

おかあさん。


もう少し一緒にいてね。
私たちのどうでもいい話や思い出話をそこで聞いていてね。

13日目

今日も昼からはけっこう長い時間
母の病室にいた。

持ち込んだ小林正観さんの本を読んでいて
いいこと言ってるなぁ、と思う部分を
母の近くに寄って小声で声に出して読んでみた。

処置のために看護師さんが入ってきたので
退室しようとすると
看護師さんが本を見つけて
読んであげてたの?と聞かれたので
うん、読み聞かせてた。と答えた。

どんな本?

と聞かれて、一瞬なんと答えようかな?と思った。
ジャンル的には自己啓発だと思うけど、
それじゃあ味気ない答えだな、と思って
とっさに「人生がよくなる本。」と答えて
看護師さんとふふ、と笑った。


今日は予約していた電話による
ヒーリング?チャネリング?なんかよく分からないけど
セッションを受けた。


内容は、
魂的な話を中心とした雑談みたいなものなんだけど
人(クライアント)によってはその時のお悩みを相談したリするらしい。
人生相談のように。

私には相談したい悩みはない。


つーと驚かれるかな。


母のことで色々と訊いたけれど
あくまでも知りたいことを訊く、と言うQ&A的な会話。

これこれこう困っているのですがどうしたらいいですか。
と言う内容ではない。

ヒーラーさんにきくと、
悩み相談に特化しないこうした雑談の方が
ヒーリング効果(?)が高いそうです。


詳細を書くと、魂的な話に興味のない人や
唯物論が心地よい方にとっては
なんのこっちゃ?になると思うので
興味のある方は個人的にどんなだったかお話しましょう。ww
つか、メモは取ったけど時間たったら殆ど忘れてしまいそうだけど。ww


まあ、なんだな
輪廻転生とか魂のレベルなどと言う言葉に違和感がない人には
おもろい話満載でした。

西ノ宮在住のヒーラーさんですが
11月には札幌にこられるそうで
その時必要を感じたら対面セッションもしてみるかも。


アニマルコミュニケーターさんの門をたたく方も多い中
私のペットホテル業とも絡むために
動物の魂の仕組みみたいなお話も聞きました。

ま、あれですよ。

かぶこ、母への想いが転じて変な宗教や占い師にひっかかったのでは
と心配されることがございませんよう。

先に書いたように、母のことは現実として受け止めており
私にとっては「悩み」ではないし
心を落ち着かせるならば既に持っている本を繰り返し読むことで十分です。


今回のセッションは、
色々訊いてみたかった精神世界系の疑問をすっきりさせると言う
ごく興味本位な楽しい時間、と言う位置づけです。

こう言う話は好きな人ときらいな人がいて
心行くまで話したり疑問をぶつけられるのは
やっぱ専門家だな~、と実際のセッションを終えてとても満足でした。


ひとつ。
なるほど、そういわれると反論できない・・・。と思ったことは
動物は基本、動物病院で延命されることは望んでいない。
延命は飼い主が動物と離れがたいがための
自己満足行為であることは誰も指摘する人はいないでしょうが
実際のところは自然死をしたいものなのです。


ってことと、

たとえば犬ならば
犬と言う1つの大きな意識体から
一頭一頭の犬に魂が分離して生まれてくる形式で
魂(あの世)に戻ったときまた大きな「犬と言う意識体」の中に入り
意識体全体でその記憶を共有する、と言うような仕組みらしい。
うまく説明できんけど。


人間でも魂が2つに分かれて地上にツインソウルとして生まれることがある、
と聞いたことがあるけど
犬の場合は人間のように「個」とかせいぜい2つ(まれに3つもあるらしい)
に分裂とかではなく、
もっと大きくてたくさんに分かれるようなイメージ?


なので、前回飼った犬も今回飼った犬も
実は魂は一緒のようなものなのだ、と。
人間のようには高等でない動物の魂は「個」ではなく
そのような仕組みになっていて
犬種や個性(性格)は違ってでてくるから前はチワワだったけど
後でシェパードになったりもするけどね。

と言うのが今日の先生のお話。


信じるか信じないかはあなたしだい。
わたししだい。ww


でも、それも面白い解釈だなぁ。と思う。


解釈ではなく事実だ、と先生から突っ込まれるかもしれないけど。


私の場合は
「のんびり動物と対話しながらこの仕事をしている。」
との先生のお見立て。

ちょと、うれしいお言葉。


あと、
母の魂レベルは私の予想以上に意外と高いということで
それもうれしかった。

2012.09.19

12日目

今日するはずだった透析と輸血は
母の血圧が低すぎることで中止となった。

私が病院にいるあいだも
15分おきに自動で計られる血圧が一時78-28とかになって、
モニターがアラームと赤いランプで異常を示す。

よくなるかもしれない、と言う望みがあるときは
そういう時にとてもいやな緊張感が走るけれど
不思議とそのときより冷静な気持ちでそれを受け止めている自分。


仕事を終えた姉が午後6時半頃病室にやってきて
消灯近くまで親子3人で過ごした。


姉も心を整えようとがんばっている。


心の針は上、だ。

どんなときでも。

だけど、こういう時、踏ん張ってないとすぐ下に向く。
下に向けば加速度を増してどんどん下がってしまうだろう。


だけど、
それをできるだけ下げないで気丈にしていることが
今私たちのするべき修行なんだよね。


姉も私も現状は受け入れている。

だけど、母と一緒にいながら、最後の時を待っているわけではない。
今母といられる時間に感謝し、幸せを感じていよう。
それが心の針が上、と言う修行ではないだろうか。

そして、母をがっかりさせない親孝行。

ひとりさんのCDや書籍にこんな言葉がある。

愛してます、ついてる、うれしい、たのしい
感謝しています、しあわせ、ありがとう、ゆるします


この8つの言葉を覚えて呪文だと思って1日に何度か唱えてごらん。
不思議と自分も周りの人もよくなるよ。

と。

あれこれ考え始めて気持ちが下に向きそうになったら
何も考えないようにするか、この言葉を唱えてみる。


不思議とよくなるよ。と言っても
重病人が治るとかそういうことではないのは分かっている。
だけど今まで母がくれた色んなものを
うれしい、たのしい、しあわせ・・・
って母に伝えるつもりでやってみている。


少なくとも、
少しは
つらい修行がらくになる。不思議とね。


明日また来るね、と言って帰ってきた。

11日目

つい今しがたまで
実家で母の写真を整理していた。


今日は
色々あった。

母の具合が悪くなる前から予定していた
営業車かぶっこ号の車検の日だったり

お医者様と私たち姉妹での話し合いの日だったり。


話は数日前にさかのぼるが
すでに母が入院してから数日たったとき
病院にいると、友人のおさげから携帯に電話が来た。

母のことは知らせてなかったのでたまたまの電話だった。

事情を説明するとすぐ病院に駆けつけてくれて。

そのときに車検の話が出て
代車がないならマイカーを貸してあげるよ、と
おさげが言ってくれて。

病院の往復が車でできるのはありがたいので
お言葉に甘えることに。

おかげさまで
今日の病院への2回の往復に使わせてもらいました。
ほんとに感謝。

んで、昨夜のうちに車を借りるために
おさげが実家に来てくれた時に
明日お医者様と話をするんだ。と
今日するであろう話を姉とおさげと私で話した。

延命について。


実際、今日お医者様との話は、
昨夜3人で話したことがおよそ予想通りとなった展開だった。


医師からの説明の核は
入院した翌日(10日前)の不整脈による心停止中の脳へのダメージ、
先週木曜あたりから微弱だった自発呼吸も止まっており
散瞳がみられ、いわゆる脳死状態である。
と言うことと
今後の治療の選択。


姉も私も涙こそ流したけれど
取り乱すこともなく
こんな話をしました。


とてもあれなんで
あれな方は読まれない方がいいかもしれません。


元気だった時の母の意志を尊重するなら
現状はすでに母の意に反しているとは思う。
母は脳死してまで延命されるのはまっぴらでーす。と言う人だった。

しかし、
現在繋がっている機械を外してまで母の意志に沿うことは
娘として選択できない。
かと言って、
一分一秒でも体温のある状態で傍にいたいからと
体に新たな傷をつけたり更に踏み込んだ延命措置と言う選択は望まない。


それが、私たち姉妹と母の意志との折衷案だと思う。

と、お医者様の助言も踏まえて
そのように伝えた。


明日も透析をするし入院してからはじめての輸血もします。
新たなことはしないと言いつつ、
昨日のうちに貧血が進んでいる旨は聞いていたので
輸血も一度くらいはしておこうか。。。とww

中にはこういう説明を聞いて、じゃあ呼吸器外してください。
と言うパターンもあるのだそうです。凄い決断力だな、と思います。
そんな風にきっぱり右・左と舵を取るのは私たちには難しいですが
現状の治療で母の力が尽きるまでは、
温かい母にふれていたいと思います。


読む方にも、あれな感じのあれになっちゃってすみません。


今までは
もしかしたら、の一縷の望みを捨てることは
母に対しても申し訳ない気がして
激しい傷みを見せる口内や果てしなく浮腫んだ体を見ても
なんていうか・・・
見てみぬふり?・・・みとめないぞ。みたいな気持ちもあったけど

姉も私も
残り時間が少ないことを自覚して過ごすことをはじめました。


おかあさん


不思議と、母の数々の写真を眺めていても
涙が出るわけではなくいとしさだけを感じます。
母の歩んだ人生って、どんなんだったんだろう。
母から実際に聞いた話や写真でたどれるのは案外少なくてもどかしく
もっと時間をかけて、どんな人生だったかききたかった。


楽しく生きた?
幸せに生きた?


私は、お母さんの子でよかったよ。

2012.09.18

10日目

暦は3連休の最終日。
今日も姉は殆ど終日病院で過ごした。

私は仕事をしに帰ったりしながら
3回?か4回?か病院に行ったり来たり。

家から病院はかかっても15分くらいなので
近くて助かります。


今の私よりもう少し若い頃、
母が祖父の入院先に通っていたのを思い出す。
南区の自宅から、マイカーもない時代
たぶん交通機関なら1時間以上はかかる白石の入院先まで
付き添いに通っていたように記憶している。

私たち娘や父、家族がいた母は
その世話をしながらの付き添い。
大変だったことだろう。
私や姉は1人で身軽なので、仕事以外では
病院にいたいと思えば好きにいられる。

母は9人兄妹だったけど、
当時札幌市内に住んでいたのは3人だったかで
母が一番時間をかけて祖父の看病をしていたのは
母の人柄だったように思う。
そういう時に使命感に燃えるタイプっつうかね。
兄妹がいても、お互いに家庭があると
なかなか意思の疎通に時間をかけられなかったり
血の繋がらないそれぞれの配偶者の感情も混じって
気まずい思いをする場面もあったようだが
今はむしろ、
私1人なら辛いところも、姉がいて支えあえるし
数が少ないと合議もらくだ。ww

そして
お身内の介護やなにかで我が家にペットさんを預ける方の
お気持ちや疲れが、同じ経験をすることで
想像で察する以上に実感として持つこととなる。


明日、お医者様と
改めてお話をすることになっている。

今までは、
たまたま先生が部屋に来たときに居合わせて立ち話
と言う感じだったけど
明日は姉と揃って来てください、と言われている。

大よその事は、今日私服で来ていたと言う先生に
たまたま会えた姉が聞いたそうで


ずっと母の状況を見てきて分かってはいるつもりでも
お医者様の口から出た厳しい状況を表す言葉に
息苦しくなって自然と手が震える。

落ち着いて過ごしているつもり
落ち着いて過ごすつもりでいても

やっぱり、ね。。。そうは行かないこともある。

2012.09.16

9日目

今日、姉は殆ど終日病院にいてくれた。

病院では、定められている面会時間より長く
朝も自由に、夜は消灯までいていいと言ってくださっている。

姉は母と2人暮らし。

イチローと言う愛犬もいるけれど
いつもいる人がいなくて家に1人ってのは切ないもんだ。
私も経験しているので。


まあ、あれですけどね。りこん。ww

それはそれで心が痛く
病人への心配もそれはそれで心が痛く

愛にかかわるできごとは
人の心を大きく動かすものです。


今日は
従姉の和恵ちゃんと旦那ちゃんがお見舞いに来てくれました。
入院してから3回目です。ありがとう。
和恵ちゃんは免許がないので
毎回旦那さんが車に乗せてきてくれます。


和恵ちゃんは3歳から10歳くらいまでうちで暮らしていました。
だから、実の母のことをママ、うちの母のことをお母さんと呼びます。
母にとっては娘と同様の存在です。


私と姉にとってもありがたい存在です。
3人の中でちゃんと結婚して子供を生んで家庭を保っている唯一の存在だし。ww


2012.09.15

8日目

今日から姉が3連休、私は逆に繁忙期に入り
仕事もスタッフさんに任せてばかりもいられない。


病院にも行きつつ仕事も忙しくこなしているけど
母には姉がついててくれると思うと心強い。

勿論、姉にも足さなくてはいけない用事があるから
必ず母の傍らにいなければ、とは思っていない。


それは母の意識がないから、と言うわけではなく
闇雲な使命感と言うわけでもなく

うまく言えないけど

自然に任せる


という言い方が近いかな。


母の元にいなければならない
仕事だからしなければならない

そんながんじがらめの感情で動いていると
おそらくやがて破綻する。


実際、居たくていても母のそばに何時間もいると疲れも出る。
見ていられる安心感もある反面、
見ているからこその不安感も大きく感受するわけで。


次々と入ってくる仕事は
私にとっては生活の糧で大変ありがたいことであり、
仕事をこなすことは息をするのと同じくらいに欠かせぬこと。

母のそばにいたい感情は
野生動物の感動ドキュメントですら、
そういう場面(弱った肉親に寄り添う姿)があるように
ごく自然にわいてくるもの。

だけど、私でないと出来ない仕事もあるかぎり
それをするのは私の役目であり私にとって当たり前のこと。
当たり前な以上、ありがたく元気にこなすまで。


このバランスを今は絶妙に取っていると思う。


私は、私以外のすべての人や物のおかげでこうして幸せに生きている。

なぜ、こうならないのか、
なぜ、こうなってしまうのか、
そう言う「我」を中心とした考え方はもうやめたのだ。


母の具合が悪いことや、仕事を依頼してくれるお客様や、
自分の愛犬愛猫、その他友人やもろもろの
中心に自分がいるのは、自分の人生なので確かだけど

視点の問題なのかもしれない。


自分が自分以外のために何をできるか
どんな役目なのかと考えると

破綻に進む「我」は案外顔を出さないものだ。


それが、他ならぬ
自分を楽にするのだ。


熱の引いた母。・・・
うーん、書きかけたけどやめとく。
とにかくむくみがひどい。


高熱が出ていた時は
お母さんの中で今大戦争が起こっているんだね。
と気休めの冗談を言って笑った。


母と言う魂を乗せるための乗り物である肉体。


悪い侵入者との戦いを勝利し(熱が下がった)、
今は荒れた乗り物の中を大修復中なのだと思おう。
がんばれ、お母さん。


今日は母を見守りながら
姉と、そんなような話をして笑った。

2012.09.14

7日目

母は2日おきに透析をしている。


うろ覚えだけど1日に1.5リットルくらい?の点滴をしているけど
おしっこが出ていないので水分が全部体内にとどまってしまい
母のむくみはものすごいことになっている。

透析でなんとか余分な水分も出したいところなのだけど
入れている水分より出せる水分のほうが少ない

と言うことのようだ。


昨日あたりまでは熱も高く39度台とかになっている時間も長くあり
余計に排尿しづらいと言うことだったけど
今日は37度台まで熱が引いてきている。
どうにか排尿が戻ることを祈りつつ
母の足の裏の腎臓のツボを押してみたりする。


透析中、血圧が66-39と下がってしまう場面もあったり
昇圧剤によってそれが数分後には158-98となったり
もし意識があったら大変な不調を訴えるのだろうな、と思わせる。

体からどんどん血液が体外に出され
機械を通ってまた体に戻っていく。
これをしなければ命が保たれないのだ。

透析の機械を操作している技師さんに聞くと
定期的に透析に通う患者さんでも
透析中に具合が悪くなる人などはおられるそうで
私にとってはまったく未知だったことを教えていただく機会になった。

6日目

昨夜は、母が危篤になってから初めて
夜の病院泊をやめて自宅に帰ることになった。

家にいると仕事が次々とあって忙しい。

それは会社員である姉も同じらしく
家にいると何かとやることにおわれると言う。

ボーっとしてるよりは気がまぎれていいが
疲労をためないように気をつけないとね。


私たちが自宅に戻れると聞いて
病状がよくなったかと喜んでくださる方もいる。

母は、尿が止まってしまって長時間経ったことからの
全身のむくみが顔にも出て瞼が閉じきらない。

意識を失ってからのこの6日間、
がらがらと悪化していくか、
現状から何か1つでも明るい兆しが見えてくるのか
がっぷり四つの状態がずっと続いている感じとでも言うのかな。

一昨日お医者様と話した時には
同じ状況が続くと言うことは
止まっている臓器が止まったまま時間が経つと言うことで・・・。
その影響がどうなのかは考えないようにしよう。


むくんでいる母の手や足をさすったり揉んだりすると
自分の皮膚を押したときと同じように白くなったり赤くなったりすることで
血が通っているのを感じられるし
大人になってからこっち、繋いだ事のなかった手をつないでみたりしてる。

変かもしれないけど
悲観の波動は極力出さないようにして
生きてる母との時間に幸せを感じながら病室にいるようにしている。

数日前、
何度も読んだ小林正観さんの本を病室に持ち込んで読んだとき
今と言う時間に念を入れて生きよ。
と言うような言葉がとても心に響いた。
念と言う字は今と心。

先のことを悲観したり、過去のことを悔やんだり
そんな必要はないのだ、と。

今の私と姉を励ますための言葉に思える。

15年位前、母が初めてガンに侵されたとき
まだ20代か30代前半くらいだった私はかなり心が折れてしまって
自分の周りのすべてを悲観した。

10年前、父を急に亡くしたときも
自分でも驚くばかりの悲しさに包まれて長い時間を過ごした。


それから今に至るあいだに
色んな本やメディアのおかげで魂についての学びをちょっとだけ深めた。

「感謝」と言う言葉を実感し実践するようになった。

つっても、斉藤一人さん風に言えば
心の針を下に向けないように、
愚痴不平不満を言葉に出さないようにして
天国言葉(人を不快にさせない言葉)を言うようにしよう、みたいな事だけなんだけど。
どんな状況でも不機嫌にならないで、
周りをあかるく照らす人になろう、みたいなね。

とは言え、最愛の母がこの状態にあって
平静でいられるかと言うと、それは人間である以上無理。

看護師さんと話したときに泣いた話も書いたけど
病室で母に話しかけながら涙が止まらなくなることもある。

ただめそめそしていられたら楽だよな、とさえ思ったりもする。

そんな時、今に神経を集中すると不思議と楽になれる。
感謝の気持ちがあることでびっくりするくらい楽になれる。

今、息をしている母と一緒にいられることが幸せじゃないか。
頑張ってくれている母に感謝だな。
病院の人たちが一生懸命やってくれることや
気遣って声をかけてくれる人がいること、
変則シフトに応えてくれるスタッフさんたち、
時間のやりくりを分かち合える姉がいること
母を生かしてくれているさまざまな医療機器にいたるまで
すべてがあってこそ、母との時間を持つことができるのだ。

若かった頃は、
母の病気と言う不幸、やがて来るかもしれない別れへの恐れ、
父を失った喪失感や後悔・・・。そこしか見えなかった。

だけど、もっと他のものが見えてくると
不思議と強くいられるのだ。

土台がしっかりした建物みたいに
強い風が吹いてもしっかり建っていられる感じかな。


今日の夜になって、病室に来た助手さんが言ってくれた。
同じように意識のない状態でも、唸ったりしてすごく苦しそうにして
見ていられないような患者さんもいるの。
お母さんは呼吸も穏やかで寝てるみたいでしょ。反応がないのは寂しいけど
物は考えようだから、こうして穏やかなことを良いこととして受け取ろうね。


うん、ありがとう。


2012.09.12

5日目

昨夜は私が病院に泊まった。

そのときの出来事(っつっても大した物語があるわけではないww)は
あとでゆっくり書こうと思います。


寝ている間に母の夢を見ました。


もう白髪頭なので、年の頃は現状と近いようですが
持病の痛みも見せず母が普通に歩いて何か趣味か好きなことかのために出かける場面でした。


そう言えば、今思い出した事があります。
今年に入ってからだったか母に、
年も取ってきたし好きなことだけすればいいんだよ。
と言ったことがあります。
好きなことなにさ。と訊くと
うーん、好きな事してるよ。
みたいな返事だったと思います。
イチローと散歩したり…とか日常のことを幾つか言ったような言わなかったような…。

さっきお医者様と看護師さんとの相談の上
家族もこのままだと疲れてしまうし、見通しも立たない状況なので
今夜からは自宅待機に切り替えましょう、と言うことになりました。

特に1対1で看護師さんと話したときは
母の側にいたい気持ちと家や仕事が気になる気持ちが両方でね~…。と言った私に
わかりますよ~と言ってくれた瞬間
感情にまかせてびーびー泣きました。
怖がらせたかな?ごめんねww



母は高熱が続いていて触れば温かいですが
臓器の不全はかなり深刻です。
器械の反動で動くことはあっても自分からは全く動きません。


それでも温かい母に触れていられることが幸せです。


待機用の部屋に戻って
日常も、少しずつとり戻しながらやっていかないとな‥‥‥とぼんやり考えながら
仕事に追われ毎日ルーティンワークみたいに暮らしている事そのものが幸せなんだなぁと
しみじみ思った。


ロード第45章?ww



2012.09.11

4日目

昨日から待機場所として個室(病室)を貸してもらうことになった。
ベッドに寝れるけど泊まれるのは1人なので
昨夜は姉が泊まり、私は3日ぶりに自宅で寝た。

仕事したりなんかであっという間に夜中になり
早朝から仕事なのであまり寝れなかったかな。

仕事を終わらせて午前10時に姉と交代し
病院に夜7時までいた。

母の入院から今日で4日目。

面会時間にうるさい最近の病院にあって
できるだけ常に家族が病院にいてくださいという状況ですので
推して知るべし、と察してくださる方もいらっしゃるかと。

母は高熱と意識の無い状態で
ちょっと説明するのは切ない感じです。

後で悔やまないためにも、できるだけ交代でいようね。と
姉と2人でやりくりして今のところは24時間体勢でどちらかが病院におります。
今夜は私が病院に泊まりますので今は家に戻って
仕事したり細々なことをしています。

明日からは姉も終日仕事に復帰し
私も仕事はこなしながらできる限り病院にいようと思いますが
おそらく24時間と言うわけには行かなると思います。


やることがある、がんばってる母がいる
全部良い方にとって
目の前のことをしっかりやっていこうと思います。

2012.09.10

みなさんのおかげです3

今現在の母の状況ですが、依然意識は戻らず
尿毒症の改善がみられないため透析をしています。

急変に備え家族の待機を言われており、姉と交代にて今は私が病院におります。


仕事はスタッフさんたちに
急遽のシフト変更をうけて貰って
極力通常通り進めています。

こちらを読んで下さっているお客さま
お客様にご迷惑がかからぬよう最善を尽くしますが
慣れぬスタッフもおりますため、不手際等ありましたら
どうぞ遠慮なく、ご指摘ご連絡下さい。



昨日の報告記事の続きです。

呼吸の止まってしまった母でしたが
処置のあと脈が戻り、ベッドごと人工呼吸器と透析の機械が使える別の個室に移りました。
お医者様と看護師さんと共にベッドを押しながら、私達もついて行きましたが
様々な処置のため、ここで待機して下さい、と
カンファレンスルームに案内されました。

イスとテーブルとパソコンだけの部屋。

ここで二晩、姉と泊まりました。


簡易ベッドが一つしか借りられなかったので
初日私が寝たのは
イスを4つ並べた特設ベッドww。


それでもなんとか仮眠はとれました。
さすが、かぶこww


自分がへばっては元も子もないのは
長年の自営業経験で学習したため
自己管理と精神力の管理は姉以上だと思います。

それだけに、姉ちゃんがかなり疲れていることに
ちょっと鈍感だったかも。

わしは今のとこ元気満タンで母の付き添いさせて貰っています。
心配してメールや電話くれるみなさんに
感謝の涙を流すときはありますが
戦っている母のことを悲観して泣いてはおりません。
今こうして踏ん張って生きててくれることに感謝するのみです。
そうやって精神のバランスを保っています。

時折家に戻って仕事もこなし
ひかるとごまふにも会えているし
今日の午前はごまふの点滴にも行きました。

女3人だけの小さな家族ですが
一丸となって頑張っております。



2012.09.09

みなさんのおかげです2

先ほどよりもう少しフランクな感じで
看護士さんと話すことが出来、
ちょうどその途中で担当医師が来てくれたのだ。

私はともかく、現状はどうで今後なにをしていくのか聞きたかった。
まさかこのまま下痢のための点滴だけってことないでしょ!?と
目の前の母の異常事態を一刻も早く何とかしてあげたかった。

お医者様が説明してくれているあいだにも
見る見る母の様子が悪くなっている。

おかーさん!!と声をかけながら私と姉はパニック。


その時母の息が止まった。

お医者さんが瞼をめくると白目をむいて
もう死んだ人みたいだった。


もうこれで死亡宣告で終わるのかと絶望感が襲ってくる中にも
お医者さんはずいぶん落ち着いていんだな。と思った。


最初からいた看護師さんと
詰め所から駆けつけた看護師さんと
ガラガラ運ばれてきた機材で母の周りはあっという間に囲まれ
お医者様が片手で酸素、片手で心臓マッサージしながらあれこれ指示をし
あれをするからと私たちは部屋を出された。

あの医療ドラマでよく見るあれ。

AEDの病院版。


部屋の前のサッシの枠に座り込んで
私も姉もさめざめ泣いた。

母はもう死ぬんだと思った。



こんな日は突然やって来るんだなと
無情感に包まれた。



つづぬ。



今現在母はまだ生きてがんばっています。




みなさんのおかげです

一昨日の午後から入院した母ですが
入院時には既に意識が混濁したような状態でした。

歩ける体力もないのに
半ば無意識で何かしようと上半身を起こそうともがいたりするので
夜9時の消灯まで病室で付き添って
点滴の管をはずしてしまったりせぬよう
姉と見ていました。
明日には少し良くなってるかな、と病院をあとにしたのですが…。



翌日(昨日)の午前、担当医師から姉に電話が入ったむね、姉から知らされた内容は
尿毒症が進んでおり最悪の事態も覚悟するように
とのことだった。

午後1時半、再び病院に行くと
尋常でない息づかいと目線の定まらない母の姿に驚いた。

目は開けていて時折うなるように声を出すけど
殆ど朦朧としている。

なんだこりゃ!?と居てもたってもいられなくて
詰め所の看護師さんにどんな感じですか、みたいに聞いてみた。

担当医から説明があったとおりです、と言いつつ
男性の看護師さんは血液検査の数値を印刷して見せてくれながら
解るような解らないような説明をしてくれた。
そのまま売店にジュースを買いに行って戻ると
説明してくれた看護士さんが部屋にいた。
落ち着かねば。と腰を低くしていたつもりだったけど
私が鬼気迫っていたのを察して見に来たのかな?
たまたま来ただけかも知れないけど。


それも、その後のすべての運の良さにつながる。


長くなるのでつづぬ。


病院にて。



2012.09.07

がんばれ、母。

数時間前、母が救急車で病院に行った。


会社から帰ってきた姉から
お母さんが具合悪くて倒れている、と電話が来たので
慌てて実家に行くと
居間に転がったきり動けないでいる母の姿。

いつから具合悪いの?と問いかけると
かすかに「朝から」と返事をしたので
意識はある。

かと言って素人には打つ手もないし
何が原因かも分からないので
救急車呼んだ方がいいね。と姉に電話してもらった。


病院での診断は腸炎、と言うことで
点滴をして夜中に連れて帰ってきた。
命にかかわることではないようなのでひとまず安心と言えば安心。
だけど、本人がかなり辛そうなのは一目瞭然だ。

以前、腸閉塞の悪化で生死をさまよった母であるが
その時も最初に行った病院で軽い診断をされて家に返された経緯があるので
経過観察は私と姉の重要な役割だ。


私は明日も早朝から仕事があるので
帰ってきたけど、なんだか眠れないで今に至る。


明日は会社を休んで姉が近くの病院に改めて連れて行くことになっているし
臨機応変に動いていけばいいことなので
今のところご心配は無用です。


2012_09_04_066
お母さんは大事にしようね。(ひかる)

うんうん。そうだよね。


2012.09.04

ゴルゴル牧場

なんとか牧場と言うテレビ番組のドッグランシーンを撮ると聞きつけて
ドッグランへお出かけした。


行ってみたら、久しぶりの顔ぶれやら
お馴染みの兄妹やらあっと言う間のゴルゴル牧場完成。ww


2012_09_04_021 


2012_09_04_030


2012_09_04_062


2012_09_04_077


2012_09_04_060


2012_09_04_071


2012_09_04_051


2012_09_04_040


2012_09_04_042
途中、車に物を取りに行ったら、一応柵越しに見ててくれたひかる。

2012_09_04_058

2012_09_04_038
久しぶりに会ったリトモママに甘えるひかる


« August 2012 | Main | October 2012 »